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マーケティングの基本は、何よりも商品コンセプトである。コンセプトとは「概念」のことで、商品コンセプトとは、販売している商品とは何か、開発している商品とは何か、を簡潔に言葉で表したものである。

商品コンセプトの内容はターゲット、シーン、ベネフィットの3要素で構成される。ターゲット、シーン、ベネフィットの3つを、相互に関連性をもたせながら明確にしたものが商品コンセプトになる。

 

ターゲットは標的であり、照準を合わせたユーザー、購買者、顧客である。ただ、ユーザーと購買者が別の場合は、購買者がターゲットになる場合もある。ペットフードならペットフードを食べる犬や猫ではなく、飼い主である人間がターゲットになる。ソニーの幼児向けオーディオ機器『マイファーストソニー』(1987年USA発売)は、子どもの頃からよい音質に親しませたいと考える中流の家庭の親をターゲットとしていた。

ここではターゲット/購入者の設定の方法と切り口について考える。

? セグメンテーションとターゲット

ユーザーをどう細分化、セグメンテーションするのか。そして細分化した複数のセグメントのうちのどれを狙うのか。どのセグメントをターゲットとするのか。

 

まずはどうセグメンテーションするのか。

セグメンテーションの軸は無数にある。性別、年齢、ライフステージなどのデモグラフィックス、あるいはライフスタイルや社会心理的な特性によって消費者を細分化する。この他、セグメンテーションの軸にはそれぞれの商品カテゴリーに即したものがある。商品カテゴリーに即した軸としては、使用ブランドと消費量が基本的なセグメンテーションの軸になる。

 

複数のセグメントのうちどのセグメントを狙うか。
どのセグメントをターゲットとするのか。狙うべきセグメントはどれか。それがターゲッティングである。たとえば、次のような戦略的な視点からターゲットを決定することになる。


市場を拡大するために未使用者を使用者にする

市場規模の拡大は、主にマーケットリーダー企業の役割。マーケットリーダー企業は、市場を拡大するために、未使用者をユーザーにする可能性をつねに追求する。トヨタはクルマ市場の拡大、伊藤園は緑茶飲料市場の拡大が課題である。ソニーはオーディオ機器のユーザーを拡大するために、幼児をユーザー・ターゲットとして『マイファーストソニー』(1987年USA発売)を開発し、発売した。

自社が弱いセグメントを狙う

細分化したセグメントの中で自社が強いセグメントを狙うのか、それとも自社が弱いセグメントを狙うべきなのか。市場でのシェアが低い企業ならニッチ戦略を志向し、自社が強い市場にマーケティング力を集中することで、特定のセグメントで圧倒的に高いシェアを持つようにすべきである。一方、市場でのシェアがある程度高い企業なら、自社が弱いセグメントでのシェアの向上を狙うべきである。アメリカのクルマ市場で一定のシェアをとるようになったトヨタは、トヨタのシェアが低いセグメントである若者をターゲットにした「サイオン」を開発し、発売した。(2003年6月)

強い企業が見逃してくれるニッチを探し出す

それほど大きくはないが競争が少ない市場で高いシェアを維持する。それがニッチ戦略である。同じ内容を大量にコピーするために学校などで使われている、理想科学のリソグラフは、広義には複写機の一種。キヤノンやゼロックスから見るなら参入するには小さな市場であり、このニッチなセグメントで理想科学は高いシェアを得ている。

トップ企業を狙ってヘビーユーザーを狙う

消費量によるセグメンテーションでは、ヘビーユーザーをターゲットにすることが優先される。市場のリーダー企業はヘビーユーザーを捉えている。リーダー企業に挑戦する企業は、チャレンジャーとしての正統な戦略として、ヘビーユーザーをターゲットとする。アサヒスーパードライは、ビールのヘビーユーザーをターゲットにした。ヘビーユーザーはたとえ少数でも消費量が多いため、市場で大きな部分に寄与する。ヘビーユーザーをきちんと捉えられるなら、マーケット・シェアは大きく伸びる。(ヘビーユーザーの寄与率)

? 先行性と波及効果 アーリーアダプター

どのセグメントを狙うのか。先行性がありかつ他への波及性をもつセグメントをターゲットにすることも、戦略的選択肢になる。


農薬や改良品種の普及と採用層を考察した農村社会学者E.M.ロジャーズは、『技術革新の普及過程』(Diffusion of Innovations)で、イノベーションの産物がどのように普及するかを、たくさんの事例から研究している。マーケティングでは、ロジャーズの研究のなかの、次のような採用者の5区分がよく活用されている。

イノベーター(革新的採用者)
アーリーアダプター(初期少数採用者)
アーリーマジョリティ(初期多数採用者)
レイトマジョリティ(後期多数採用者)
ラガード(採用遅滞者/伝統主義者)

技術革新にすぐに飛びつくのは「イノベーター」だが、この新しモノ好きの層が採用しても普及するとは限らない。その次の「アーリーアダプター」(初期少数採用者)が採用するとイノベーションは普及過程に入り、「アーリーマジョリティ」以下の層に順次、普及するという理論である。

先行性があり、かつ他の人たちに波及効果があるセグメントが「アーリーアダプター」。アーリーアダプターは商品によって異なるが、どの商品にも存在し、その商品のオピニオン・リーダーでもある。「アーリーアダプター」をターゲットとするのは、既存製品の小さな差別化ではなく、カテゴリーを創造するような新製品の場合に有効である。

他の層に影響を与える波及効果は、所得階層や年齢にも見ることができる。経済の高度成長期、多くの家電品は高所得層から普及した。個人財であるオーディオ機器のウォークマンやiPodは、若者から大人へと普及している。 子どもの場合、年下の学齢には波及しやすいが、年上には波及しない。3年生の男の子が使っていたら、4年生の男の子は「子どもっぽいから」と使いたがらない。子どもは大人たちと違って、歳をとり、年長になることに誇りを持つ。大人と子どもの加齢に対する意識の違いが波及効果に現れている。(こどもと大人の加齢による波及効果)

? J-WAVEのターゲット Up Scale Group

事業の立ち上げで、徹底したターゲット・セグメンテーションを行ったのがJ-WAVE。J-WAVEはターゲットを設定することで、今までにない個性あるFM局として1988年に開局している。

電波を使う放送は、純粋な競争が行われていない特殊な業界である。電波は半ば公共的なもので、ターゲットを絞り込んで利用者を限定するという考え方にはなじまない面があった。J-WAVEの場合も、「みんなが理解できない英語を使うなんて」などの抵抗もあったようだが、最終的にはリスナーを絞り込み、徹底したターゲット・セグメンテーションを行うことで、鮮明な編成を実現する。絞り込むことで特性を明確にし、かえってより幅広い層に受容されることになったのである。


J-WAVEのターゲット・セグメンテーションは画期的であった。一般に放送は、子ども番組とか、主婦をターゲットとしたワイドショー番組とか、個々の番組がターゲットをもっている。だがJ-WAVEは、あえて番組ではなく局のターゲットを設定した。昼間は主婦かドライバーしかラジオを聞かないというような声を退け、昼間の時間帯も深夜もターゲットはただひとつ、調査分析から導いた『Up Scale Group』と名付けたターゲットに設定した。そして、立ち上げ時の編成コンセプトや営業戦略は『Up Scale Group』というターゲットの上に組み立てたのである。

放送局が提供する商品は番組で、商品のラインナップ開発は編成である。開局を前に、J-WAVEの編成の基本的方向性は、編成部の横井宏が書いた『編成総論』で示された。メディア論をベースにこれからの時代のFM放送のポジショニングを行った『編成総論』をもとに、ターゲット像を浮き彫りにするための調査が企画され、編成部の横井宏と常行邦夫から依頼されて、大橋(当時NIMS、現BMFT)が調査分析を行った。

ターゲットである『Up Scale Group』は、性別や年齢に関係なく、生活行動や生活意識によって規定した。使ったのは2軸。ひとつの軸は音楽だけでなく、デザインやサウンドに対して豊かな感受性をもつ「感性志向性」、もうひとつが本物を見きわめ、少しくらい高価でも購入する「本格志向性」。この感性志向と本格志向がともに平均より高い人たちを『Up Scale Group』としたのである。

調査は1987年の年末に実施し、分析と報告書作成を経て、報告書をもとにした制作物は、開局に向けスポンサーに対する営業活動が始められた1988年春にできあがった。(1988年4月『Up Scale Group』)

? 事例 the nicest people on a Honda

1960年代ホンダは、ハーレーダビッドソンが支配するアメリカに進出し、これまでのバイクユーザーとは、異なったターゲットを設定し、新たなバイク市場を創造した。

1950年代後半のアメリカのバイク市場は、第二次大戦の戦争需要がなくなり、一般市場はクルマ市場に代替されてしまい衰退期にあった。バイク需要は白バイとレースマニアや革ジャンを着たアウトロー・ユーザー需要だけ。アメリカ国内のメーカーは、1953年にインディアン・モーターサイクルが倒産し、ハーレーダビッドソンだけが生き残っていた。光り輝くクルマ市場の裏側に押しやられ衰退期にあったバイク市場、そこへホンダはノン・ユーザー(未使用者)をターゲットにして参入し、新たなユーザーを作り出し、バイク市場を成長市場に変えるのである。

ホンダのバイクがアメリカ市場に参入したのは1959年、設立したアメリカ・ホンダのトップは39歳の川島喜八郎である。最初の年は167台しか売れなかったが、翌1960年には2万台強、1962年には販売台数が4万台になる。一方のハーレーの販売台数は以前と変わらず3万台強のまま、4万台というホンダの販売台数は満足すべき数字であったはずだが、ここが飛躍点であった。川島喜八郎は翌1963年の販売台数を5倍の20万台に設定するのである。

20万台の目標設定の裏には広告があった。惜しみなく広告に費用をかければ、販売目標は達成できると川島喜八郎は考え、広告代理店グレイから提案されたキャンペーンを採用する。このあまりにも有名な広告キャンペーンのコピーは「the nicest people on a Honda」。広告キャンペーンは若き日のマーロン・ブランドが主演した映画「ワイルド・ワン」に描かれたような暴走族的バイクユーザーを払拭し、明るく健康的な若者、というバイクユーザー像を作り上げることになる。バイクのイメージは一変、アウトローたちの遊び道具から、キャンパスライフを楽しむ学生やスポーツを楽しむカップルなど良識ある中流家庭の人たちの気軽な移動手段となるのだった。

R.F.ハートレーは『勝利と敗北の岐路』(ダイヤモンド社)で、ホンダを勝者、ハーレーダビッドソンを敗者とし、経営者とその戦略の優劣から分析している。しかし、この時のホンダの戦略が考え抜かれた計画的戦略にもとづいたものとはいえない。最も小さなバイクであるスーパーカブでアメリカ市場に進出したのは、それしか売れるバイクがなかったからである。当初、本田宗一郎は大きな排気量のバイクを売るつもりでいたし、アメリカ・ホンダは当初はドリームやベンリーを販売していたが、トラブルが発生し、スーパーカブを販売しなければならなくなったのである。ヘンリー・ミンツバーグ『戦略サファリ』は、ホンダ戦略は考え抜かれたものではなく、試行錯誤しながら学んでいった創発的学習である、という捉え方を主張している。

考え抜かれた戦略か、創発的学習か。ホンダの成功は1963年の戦略で決まる。販売目標を前年の5倍と設定し、大きな広告費を投入した状況感覚の鋭さと戦略的な判断、これと当時のアメリカ人を捉えた「the nicest people on a Honda」の広告戦略の採用、市場を読む力と判断力が成功の最大の要因であったといえる。


1960年代後半から1970年代、アメリカのバイク市場はホンダ、スズキ、カワサキなどの日本企業に席巻され、ハーレーダビッドソンは、失敗企業といわれる時期が続く。だが1980年代、ハーレーは劇的に復活する。復活の最大の要因は、ユーザーを組織化したハーレー・オーナーズ・クラブ(HOC)の創設、ハーレーに乗ることの経験を意味化した経験マーケティングである。その時のハーレーのターゲットは、ホンダのような良識ある若者ではなく、中年の「Rich Urban Biker」であった。

? 調査分析事例 価値意識クラスター
性別、年齢、ライフステージなどのデモグラフィックスによるセグメンテーションではなく、価値意識でセグメンテーションを行った調査分析の事例をとりあげる。ここではクラスター分析によって5つの価値意識セグメントを析出している。析出したクラスターは次の5つ。

クラスターⅠ Public Family
クラスターⅡ Myself Being
クラスターⅢ New Japanese Dream
クラスターⅣ Out of Trend
クラスターⅤ Expanding World

社会意識や生活意識を分ける軸を考える際、いまでも古びていないものに見田宗介『価値意識の理論』(弘文堂1966年)にある分類がある。2軸により4つの象限を設定、ひとつの軸は「現在重視」か「将来重視」かで、ふたつ目は「自分重視」か「社会重視」かである。2軸がつくる4象限は、快、愛、利、正の4文字であらわされる価値意識に分かれる。現在重視で自分重視だと「快」、現在重視だが社会重視だと「愛」、将来重視で自分重視だと「利」、将来重視で社会重視だと「正」になる。

見田宗介のこの2つの軸をもとにした軸を設定した。現在か未来かは、「本来の自分」かそれとも「成長する理想の自分」か、という軸とする。自分か社会かは、世間の考えに惑わされることがない「自己基準」か社会や世の中の価値を尊重する「他者基準」か、である。

この新たな2つの軸が構成する平面に、5つのクラスターをポジショニングする。成長する理想の自分&他者基準の象限には、社会的な評価の階段を登りつめ、「勝ち組」を目指すクラスター『New Japanese Dream』が位置づけられる。

そして、クラスター『New Japanese Dream』とは対照の位置にある、本来の自分を志向&自分基準で考えるという象限には、「自分らしさ」「自然体」「マイペース」を価値とし、地位や収入などの社会的な評価に背を向けるクラスター『Myself Being』が位置づけられる。

? テイスト・セグメンテーション
このブランドのユーザーはどのような人なのか。ターゲットはどのような人なのか。そのことを知るためには、人を分ける基準というか、次元を考える必要がある。分ける次元には大きく次の4つがある。ひとつは、性別、年齢、ライフステージなどのデモグラフィックス。これがもっともよく使われる。ユーザーは30代女性、ターゲットは20歳台後半の女性などというように。ふたつめは、朝食はスープかコーヒーか、味噌汁かなどの違い、あるいは通勤はバスか電車か、クルマかなど、ある局面での生活行動で分けるライフスタイル。3つ目は先にみた価値観によるセグメンテーション。そして4つめベネフィットのところで述べる、ベネフィット・セグメンテーションである。

だが、ブランド選択などは、こうしたセグメンテーションでは説明しづらいことが多い。たとえば、彼はなぜコカコーラを好み、もうひとりの同じ年齢で同じような仕事をしている男性はポカリスエットを好むのか。コカ・コーラとポカリスエットの選択者の違いは、デモグラフィックスやライフスタイルや価値観ではなく、音楽の好みとか服装の好などの方がよく説明できる。

ここでは、衣服やインテリア食器などに対する好みから人を分けた、テイスト・セグメンテーションの調査分析の事例を紹介する。(「感性を数値化するテイスト・セグメンテーション」『ブレーン』1985年6月)

調査では、家の外観、居間、自分の個室、机、椅子、電気スタンドなどの住関連の商品から、万年筆や腕時計、カバン、靴、カジュアル・パンツ、スーツ、コートなどの衣服・身の回り品、レストランなどについて、1カテゴリーに4~5枚の異なるテイストの写真を用意した。たとえば灰皿だと、黒い陶器のもの、金色の装飾のついたガラス製、ポップな絵のはりついたブリキのもの、円筒の缶で丸い穴があいた灰皿などの写真について、どの灰皿が好きですか、どの灰皿が嫌いですか、と質問している。その結果、合計約150アイテムの写真に対する好き嫌いデータを得て、クラスター分析を行った。

7つのクラスターを析出したが、ここでは20代前半の男性が中心となった2つのクラスター、街トレッキング・クラスターとハーフバーガー・クラスターに注目しておく。

街トレッキング・クラスター
好む机はリフォームした作業台風、灰皿はブリキで、コーヒーカップはホーローのマグが好き。道具感覚というか、東急ハンズの世界のよう。ネクタイはニットで、靴はウィングチップ、カジュアルウェアはパーカー。飲むところはカフェバー。

ハーフバーガー・クラスター
アーリーアメリカンの家、明るいサンルーム付きのリビング、カウンター型キッチンを好む。東急や西武沿線の一戸建て住宅のカタログのよう。机は白いユニット家具で、腕時計はクロノグラフ、カジュアルウェアはスタジアムジャンパーにデッキシューズ。レストランはトニーローマ。

そして、2つのクラスターは清涼飲料の好みがはっきりと違う。街トレッキングがポカリスエットで、ハーフバーガーはコカ・コ一ラなのである。

このように部屋やインテリア、文房具、服装などの好みで人を分けるテイスト・セグメンテーションは、飲料やお酒などの食品のブランド選択に強く影響を与えている。

? トレンド分析事例 世代特性 ポスト団塊Jr.

団塊の世代はいつまでも団塊の世代であり、新人類世代もずっと新人類世代である。「世代」とは、同級生たちが集まる同窓会のように、時代やライフステージにかかわらず同じ時代に生まれ、同じ時代に育ち、同じ時代に生活したものとして、いつまでもついてまわる。

それぞれの世代には世代の社会意識や生活意識の特徴があり、世代特性としてよく語られたりする。ここでは、団塊Jr.世代の次の世代を「ポスト団塊Jr.世代」とし、価値観や生活感覚の特性を、生活行動や消費行動に表れたさまざまな現象をもとにして分析した結果を、簡単に紹介する。

現在、20代後半のポスト団塊Jr.世代は、バブル経済以降の90年代からいままでの時代のなかで育ち、価値観や生活意識を身につけている。生育の時代環境としては、行政改革や金融などの市場主義経済化に代表されるグローバリゼーション、インターネットのインフラ化の代表される情報化、経済成長の停滞が続くデフレなどが大きな要因になっていると考えられる。

グローバリゼーション、情報化、デフレという時代環境の中で、ポスト団塊Jr.世代は、世代として固有な価値観や生活感覚を持つようになる。ポスト団塊Jr.世代の価値観や生活感覚は、時間感覚、空間感覚、関係感覚の3つの領域での変容として、次のように捉えられる。

 

時間感覚では、朝昼晩などの時間の意味が希薄で時間に仕切りがない「際レス」と、時間を流れでとらえず現在を優先する「イマ至上」である。空間感覚ではケータイ等のモバイルによってどこでも自分の空間にしてしまう「モバイル自分部屋」と、小さい頃から近隣で外国人や外国文化と普通に接していて、和もエスニック、和風も含めてすべてが等価な文化である。関係感覚では、都合が悪くなるとなしにしたり、気軽に諦める「リセットスタンス」、それと嫌いなものは見ないし、もともと接しない、存在しないという「有無の壁」をつくっている。

? 事例 ニッチ市場 2人世帯向け冷蔵庫の開発

ニッチ市場を発見し、一定の販売量を長い間維持したロングセラー製品を開発した事例である。

家電品の製品の発展は、冷蔵庫やテレビなど製品自体の大型化という流れ、テレビ、オーディオ機器やエアコンの各部屋への普及のような個人化・各部屋化の流れがあった。冷蔵庫の大型化は多ドア化を伴って進み、80年代の3ドアの時代を経て、90年代の初めには、400リットルを超える4ドア冷蔵庫が市場の中心的な存在になる。


この400リットル4ドア冷蔵庫は、主に家族が3~5人の一般世帯向けだが、冷蔵庫にはこの他に単身世帯向けの100リットル前後の小さな冷蔵庫の市場があった。一般世帯向けと単身世帯向けの2つが、市場の大きなセグメントを構成していたのである。こうした中で、どちらにも属さない2人世帯というセグメントが発見される。統計データを見れば2人世帯数の増加は明らかだし、何も新たなセグメントの発見とはいえないのだが、2人世帯を製品に結びつけて考える発想は、当時の家電各社にはなかった。家電製品のユーザー像は、単身世帯のライフスタイルか、あるいは子どもがいる家族のライフスタイルが前提とされていたのである。

ニーズの発見の契機は思わぬところにあった。90年代に入って、三洋電機は10年近く前の主力製品である2ドア250リットルの製品を製造販売していた。販売台数が落ち込んだら生産中止にする予定でいたが、ある台数になってからはなかなか減少せず一定の販売台数が売れ続けていたので、生産中止が先延ばしになっていたのである。

なぜ減少しないのか、その理由を求めて購入者調査を実施する。そこでわかったことは、購入者の過半数は2人世帯。しかも購入理由は、旧型品だから安く販売していたが、安さではなく、大きさが2人世帯にはちょうどいいから。大型化の流れのなかで取り残されていた別のニーズを持つ層が見出されたのである。


中心的なゾーンの400リットルでは大きすぎるから、250リットルクラスを買う層がいる。しかし、250リットルくらいの大きさの冷蔵庫は各社いずれも古い型の製品で、安さをベネフィットとしたものばかりであった。2人世帯のなかには、高くてもいいから使いやすい冷蔵庫を求めている層が存在している。

2人世帯をターゲットにした製品開発がスタートし、製品の試作品でターゲットの受容性を確認する「アピアランステスト」を実施、1993年3月、2人世帯向け冷蔵庫、SR-MN27Vは発売された。

? 事例 GMの階層セグメンテーション 「すべての財布」
セグメンテーションはマーケティングの概念であるが、同時に、産業社会から消費社会への移行を決定付けたコンセプトでもあった。その象徴的出来事が、フォードからGMへの交代劇。20世紀初頭のアメリカ、1910年代にクルマ市場の成長期を担ったのはフォードだったが、市場が成長後期に移った1920年代になって新たなクルマ・ニーズを開花させたのはGMであった。GMのアルフレッド・スローンJr.は所得階層による徹底したセグメンテーションを行い、クルマを階層の差異をシンボルする消費社会の商品にするのである。

ヘンリー・フォードは、実用的なクルマを大量に効率的に製造することを生涯求め続けた。フォードが1908年以降生産したのがT型フォードだけ、1908年から1927年までの20年間に、同じクルマを約1,500万台製造している。この同一車種生産台数の記録は50年後、フォルクスワーゲンのビートルに破られるのだが、クルマ全体の生産台数が少ない時期でのT型フォードの記録は圧倒的。フォードは、ただひたすら生産性とコストダウンを追求し、1910年には850ドルだったT型フォードは、5年後の1915年には約半額の490ドル、1925年には290ドルと15年前の約3分の1の値段で販売する。生産性の向上による安さの実現のため、ヘンリー・フォードはT型フォードに変わる新しい車の開発は一切行わず、色は黒だけのT型フォードを作り続けたのである。

T型フォードのシェアが最も高かったのは1921年で、その時のフォードのシェアは過半数を占めている。以降、フォードのシェアは低下し、替わったのはGM。GMのシェアは、1924年の18.8%から1927年には43.3%になる。圧倒的なシェアをもつ2つの企業の交代が数年で起きたのである。

GMの成長を支えたのは、「すべての財布」に合った車種のヒエラルキーを作ったことである。所得階層によるセグメンテーションにもとづき車種間に明確な差をつけ、差異に意味がある消費社会にふさわしいクルマとしたのだった。1924年のGMの車種の構成とその価格は次のようになる。

キャデラック 2958ドル
ビュイック 1295ドル
オークランド 947ドル
オールズ 750ドル
シボレー 510ドル

 

このときのT型フォードの価格は380ドル、GMの最下層車種シボレーの更に下層だった。

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